2007年12月20日

ヒーリングって何?

《ヒーリングって》

最近はヒーリングやセラピーと言う言葉が身近になった。
今朝のニュースでもヒーリング・ ルームで無価値な高額商品を売りつける悪徳商法にどっかの県警幹部が関与していたと言うニュースが流れていた。

元々ヒーリングとは、治療や特に心の癒しを指す言葉なのだが、いつの間にか訳のわからない事に使われているようである。

レイキも昔からレイキ・ヒーリングと標榜しているところもあって、主にその癒し面を強調しているレイキが多かったが、 こうなるとヒーリングと言う言葉が使いにくくなる。

ヒーリングの事をよく知らない人達にとっては、メディアを通して一旦ヒーリングと言う言葉に悪いイメージを持ってしまうと、 霊感商法もレイキも一緒くたにしてしまう可能性があるからだ。

かつてマインドコントロールが悪いイメージで使われると、マインドコントロールの本来の意味を知らなくても、マインドコントロール、 イコール第三者に心が操られる、事になってしまった。
そしてまともな心のトレーニング法だったマインドコントロールまで名前を変えざるを得なくなってしまった。

一時期オウムの修行風景がテレビで流されると、河原で生徒さんと元極の練功を集団でしていると「あれオウムとちゃうか」 と指を指された。

特に精神世界の言葉が、何らかの悪いイメージと結び付けられると、あっという間に無知な一般の人達の間にそれが広がってしまう。

先日もある一般人の集まりで私の名刺を見て「怪しい!!怪しい!!」を連発されたが、私にはその人の言葉が「私は無知です、 ごめんなさい私はこの分野では知識の無いお馬鹿です、お許し下さい」と聞こえてしまう。
恐らくその人が反応したキーワードは、研究所、ハイパーレイキ、催眠、神経言語、セラピー、などの単語群などと思う。

ところが同じ名刺を見ても、自分が知っている単語があると逆に興味を示してくれる事が多い。
また目に見えないもの扱っている事より、目に見える物を扱っている方が理解されやすい様でもある。

共時性の法則から行くとここしばらくは『ヒーリング』のイメージを損ねるような報道が続く可能性があるので、 ヒーリングを標榜する業種の人は何かの対策を立てる必要があるかも知れない。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2007年12月10日

コミュニケーションとエネルギー−2

《コミュニケーションの媒体》

最近よく、言語によるコミュニケーションはコミュニケーション全体の30%だとか40%だとか言われるようになりました。
そしてボディランゲージによるコミュニケーションが言語による比率を上回ると言われています。
しかし実際にそうなのでしょうか?

実は私は、人と人を繋ぐコミュニケーションの基本的な部分はエネルギーではないかと考えています。
これはレイキを使い込んだ人なら容易に理解できることなのですが、言語であろうが、ボディランゲージであろうが、 そこには演技すると言う人間の浅はかな意図が関与しています。
ところが人の発する言語や振る舞いのベースにはその人の発するエネルギーと言うものがあると考えられるのです。

俗に一目ぼれと言う言葉がありますが、この一目ぼれには二つのパターンがあるように思います。
一つは好みのタイプと言う様な単なる思い込みによる錯覚的な一目ぼれです。
好みと言うものは何らかのきっかけで刷り込まれたものが大半で、自分の好きなタレントに似ているとか、母親に似ているとか、 昔の恋人に似ているとか言う、いわゆる食べ物の好き嫌いと同じようなものです。
もう一つはいわゆる波長やバイブレーションと言うような目に見えないエネルギーの同調による一目ぼれです。
これは目で見て、と言うよりは肌で感じる一目ぼれと言った方が正しいかも知れません。
「あの人とは肌が合わん」と言う表現がありますが、まさに理屈抜きで「肌が合う」と言うのはこの部分でしょう。

さらにこの一目ぼれは、占星術やバイオリズムや四柱推命や血液型や干支などで言う相性よりも、 もっと深い部分での相性を現す可能性があります。

つまり言語や振る舞いの奥には人の発するエネルギーが深く関わり、そのエネルギーにはその人の性格や思念や本音などの核心的な情報と、 誕生(過去世を認めるならその過去世も含めて)から今日までの生育歴や価値観、人から与えられたこと人に与えたこと(トラウマを含む) などの全てが投影されていると考える事が出来ます。

要するに人が発するエネルギーには普通の場合、その人の潜在意識にある情報の全てが投影されていると考える事が出来ると言う訳です。

例えば言葉巧みに人に近寄ってきて何かを売りつけようとしたり、或いは騙そうと言う意図で何かを仕掛けてきても、 その人の発するエネルギーを感じる事が出来ればそれは簡単に見抜ける事ができるでしょう。
しかし自分が欲に目が眩んでいると、逆に簡単に人に騙される羽目に陥ります。
これだけ様々な投資に絡む詐欺事件が起こっていても、 相変わらずそう言う事件に巻き込まれる人が尽きないのは欲に目が眩んで正しい判断が出来ないからです。

また反対に調べれば簡単にわかるような嘘をつく人がいます。
本人はその場の都合の悪さをごまかす為に嘘をつくのですが、判る人には判ってしまうので一旦判ってしまうと、 その人は信用を失う事になってしまいます。要するにその人は馬鹿なのです。

ただ相手の発するエネルギーを感じられる人とそうでない人はいます。
ハイパーレイキでは回路を開くと言う行為が、相手の発するエネルギーに対する感受性を高めると考えています。
この事は受講された方々のその後の変化についての報告から推測する事が出来ます。

本題に戻りますが、やはり人には誠実に接さなければならないと言うのはエネルギー的な視点から考えても当然の事でしょう。
ただ私の場合など、相手が不誠実なエネルギーを発している事を感じてしまうと、思いっきり「お前なんかきらいや」 と言う情報を発信してしまうので、そう言うエネルギーを受け取った人は自然と遠ざかっていくようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2007年12月06日

抵抗とエネルギー

《日常の行動と抵抗》

我々の日常生活の中で抵抗といえばどんなことが連想されるだろうか?

恐らく何かをやろうとしている事が第三者から妨害されるとか、 競争相手がいて思うように前に進めない様な状況を指す場合が多いかも知れない。

しかしここで言う抵抗とは外部の抵抗では無く、自分の内部にある抵抗についてである。

例えばお酒を止めたいとかタバコを止めたいと思っていたとする。
誰でもある程度は意思の力で止めることが出来るのだが、しかし何かのきっかけでまた飲んだり吸ったりしてしまう事が多い。
これは止めようとする行為に対して内部(潜在意識)から抵抗が起こってくると考える事が出来る。

見方を変えるとこれは、今までスムーズに流れていた水の流れを、外力で無理に変更する事に似ているかも知れない。

水は当然流れのまっすぐな方が抵抗が少ないのであるが、やむを得ず流れを変えようとした場合、 水路の曲がり方が大きいほどそこには大きな抵抗が生じるのである。

水に意思があって、もし従来の抵抗の少ない水路と新たな抵抗の大きな水路の両方が選択できるとしたら、 水は恐らく従来の抵抗の少ない水路を選んで流れようとすることだろう。

潜在意識にインプットされ習慣化された喫煙や飲酒の習慣は、例え表面の意識での抵抗があったとしても、 その人の中では全く抵抗の無い行動となっている。
従ってちょっとしたきっかけで人間は抵抗の少ない(あくまで潜在意識の中での)行動を選択してしまうのである。

《抵抗とエネルギー》

どうしてもタバコを止めたいとか、飲酒の習慣を止めたいという場合は、この抵抗に対する処理方法を考える必要が出てくる。
ハイパーレイキではこう言う時にこそエネルギーが必要だと考えている。
つまり新たな水路に抵抗無く水が流れて行く為には、水の流れに方向性と勢いを与えるパワーが必要だと考えるのである。

ここで言う方向性とは、新しい習慣(タバコとか酒に依存しない状態)を選択する事であり、 パワーとは何かのきっかけで古い水路に戻ろうとする衝動に抵抗出来るパワーである。

アルコール依存を持つ人が、何年も止められていた酒が、ほんのちょっとしたきっかけでまた依存状態になったり、 完全に禁煙したと自慢していた人がいつの間にかまた喫煙していたりするのは、やはり内部の抵抗にあったからに他ならない。

これは酒やタバコだけの話では無い。

私達は常に自分を変えようとする時、それがどんなに素晴らしい変更だと表面の意識では判っていてもなかなか習慣化できない、 すなわち三日坊主で終わるのは内部の抵抗に抗うだけのエネルギーが不足していると考えるべきではないだろうか。

自分の人生を振り返り、もし多くの変えようとした習慣や、新たに始めようとした行動が三日坊主で終わることなく今日まで来ていたとしたら、 どんなに素晴らしい人生を送れていたことか。

恐らく多くの人に思い当たる出来事があることだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2007年11月14日

コミュニケーションとエネルギー-1

《コミュニケーションのこと》

私は以前何度かコミュニケーションに関するセミナーでトレーナーをつとめた事がある。
一つはNLP(神経言語プログラミング)の公認トレーナーとしての立場からであるが、 それ以外にもハイパーレイキというエネルギーを扱う立場からコミュニケーションのセミナーを何度か実施している。

10年ほど前にロスでNLPの創始者の一人であるリチャード・バンドラーのセミナーを受けた時も、 真似事レベルではあるがエネルギーを扱うワークがあった。
つまりコミュニケーションと言う視点からでも、突き詰めればエネルギーに行き着くと言う証明になろうか。

逆にエネルギー(気)と言う視点からでもその応用可能な領域として、 コミュニケーションを上げることが出来ると言えば判りやすいだろうか。

この事は、『気で何でも治せます』と言ってはばからない気功屋さんや、 レイキはヒーリングの一手段だと思い込んでいる方々には判り難いかも知れない。

要するに他人と良質なコミニュケーションを取る為の媒体として、エネルギーを意識的に活用しようと言う発想である。

では何故コミニュケーションにエネルギーが活用できるのかを考えると、 人は言語を通したコミュニケーションのバックグラウンドで目に見えないエネルギーの交流を行っていると想定する事ができるからである。

つまり誰でも他人と接する時、 本人の意思に関わりなく目に見えないエネルギーを放射しながら相手とコミニュケーションしていると考える事が出来るのである。

例えば「あの人とはどうも波長が合わない」と言う表現は何を意味しているのか?
それはつまり互いの放射するエネルギーの質がなじみ難いものである。と言う事を意味していると考えられる。

或いは「どうもあの人からは威圧感を感じる」と言う場合には、相手のエネルギーがなじみ難くかつ自分より強いと言う事が考えられる。

このように、私達は自分が気付かないうちに既に目に見えないエネルギーによって他人との交流を図っているとすれば、 それをもっと効果的に活用する方法があってしかるべきだと言えるはずだ。

次回はもう少しそのコミニュケーションにおけるエネルギーの活用方法について考えて見よう。

プライベートなブログ。

加圧トレーニングのブログ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2007年11月05日

厄年のこと

《厄年って何?》

一般的に厄年と言う言葉はよく使われている。
また厄年の意味を私なりに要約すると、人間は男女共に一生のうち一定の時期を迎えると、病気をしやすくなったり、 或いは怪我や事故にあいやすくなる時がある。
こう言う時期が概ね男女では異なっている。通常これが厄年だとされているのである。

では何故こう言う時期が人生の間にいくつかあるのだろうか?
当然こう言う疑問が出てきても良いと思うのだが、これに対する適切な定義を私は今までに見た事が無い。

ところでハイパーレイキではこ厄年について、気=iエネルギー)の低下を来たす時期だと定義している。
これは人間が社会生活を営んでいく上で避けられない問題で、男性の厄年で代表的な42歳を例に挙げると、 サラリーマンならこの40歳前後と言うのは中間的な立場で、会社の中での地位と責任はそこそこにあるにも関わらず、 上からのプレッシャーと下からの突き上げの板ばさみになり、非常にストレスの高い生活を強いられる年齢となる。

恐らく昔からこの時期はそう言う状況が多い時期だろうし、またもっと平均寿命が短かった時代ならば、早い時期に死を迎える人は、 この時期に集中することがあったのかも知れない。

しかしそれは何故だと言う理由を考えると、やはりエネルギーの低下時期と言う事を考えざるを得ない。
以前のブログで 運気と運勢≠フ事に触れたが、その人の持つ気≠ェ低下する事により、俗に言う運気≠竍運勢≠ェ低下し、その人の気≠充実させ、 質を高める事で運気、運勢≠ヘ上がると説明したのだが、そう言う観点からすると、 やはり厄年もエネルギーの低下が災いを引き寄せやすい状況を生み出すのであり、 そう言う時期が人間のもつリズムとして人生の間にいくつかあってもおかしくは無い。

その理由として考えられるのが、厄年には個人差があると言う点である。

ある人は厄年の時期が来ても全く何にも無く過ごす事が出来るし、またある人は厄年と言われる年齢よりも早くそれらしい時期が来るし、 またある人は遅れて来る場合もある。

私の例を挙げると、大きな災いと呼べるようなものが私に訪れたのは38歳くらいから約3年くらいだったが、 私の知人では50歳を越えてからそう言う時期を迎える人や、 また完全に厄年と言われる43歳を過ぎた頃から突然様々な災いに見舞われだす人もいる。

こう言う人には私は必ずレイキを薦めるし、またレイキの出来る人なら頻繁にセルフヒーリングする事を勧める。
要するにエネルギーを補う方法を知っているのなら、自分でも災いを回避出来る可能性があるからである。

また自分以外の家族が大きな災いに見舞われる事もあるが、 これも一家の主人のエネルギーが低下している場合ならばこれを補う事で改善できる部分は多々あるようである。

今までうまく行っていたものがうまく行かなくなったり、 普段病気をした事が無い人が突然病気がちになったりするのにはそれなりの理由があり、 その理由の大きなものにエネルギーの低下と言うものが考えられるのである。

これは信じるとか信じないとか言う問題ではなく、年齢と共に筋肉が痩せてきたり、骨が弱くなったりするのと同じ事である。
しかしいくら年齢が来て筋肉が痩せて来ても骨が弱くなっても、適度な筋力トレーニングや全身的な運動を継続する事でまた筋肉も骨も、 年齢に関わらず強くなる。

そして気≠烽ワたしかりなのである。

先ず低下したことを認め、そして必要に応じてこれを補う。

結論はこれしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2007年10月29日

気≠フ強さと質について-3

《気≠フ質について-2》

気の質についてハイパーレイキとしての解釈は前回に述べて見た。
また一般的にレイキの世界では、第2シンボルは潜在意識に働きかけるシンボルとして知られ、 また第3シンボルは時間や空間を越える働きを持つと言われている。
第1シンボルがパワーシンボルとして、エネルギー強化と言う役割を担う点から、第2段階(セカンドディグリー) の中でこれら3つのシンボルが伝授されると言うのは、実に見事な配合と言える。

さらに気≠フ質について考えて行くともっと深く掘り下げて行く事が出来るのだが、ここでは少し視点を変えて違う側面から気 の質についてを見ることにする。

そこで考えなければならないのは、気≠ニ意識の関係である。
気≠ニ人間の感情の層と言った方が判りやすいのかも知れない。
これも深く掘り下げるとキリが無いが、要するに人間には共通した感情の層があると言う考え方。 つまりある種のシンクロニシティを構成する媒体についてである。
この層を心理学的にでは無く、気≠フ側面から考えて見ると、これを天、地、人の3種の気≠フ中の人の気≠ニ考える事が出来る。

すなわち我々人間が発する気≠竅Aその気≠ェ形成する気≠フ層を人の気≠ニ呼称していると考えられる訳である。
天の気≠ヘ宇宙の根源的エネルギーを指し、地の気≠ヘ大地の発するエネルギーを指し、そして人の気 は人の発するエネルギーとそのエネルギーが形成する層を指す。

そしてその人の気≠ナ形成する層の中には、人の発する情報や人類に共通した様々な過去からの情報などが蓄積されている。
すなわちこれが気≠ノは情報が含まれる。と言う考え方の根拠となるものである。

ハイパーレイキでは人が天と地からエネルギーを取り込んで人の気≠ニして外に出すと考えているのであるが、その人の出す気≠ノは、 その人の持つ感情や情報が含まれ、その気≠フ質を決定している。

従って気≠発する人の持つ情報、知識、経験、価値観、心構えなどが気 を受ける側にも影響を与える可能性がある事を充分考えなければならないだろう。

(気≠フ強さと質について、一先ず終了)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2007年10月27日

気≠フ質と強さについて-3

《気≠フ質について-1》

ハイパーレイキを含めたレイキ全般で扱うエネルギーの質は、@大地の気=i第Tシンボル)A月のエネルギー(第Uシンボル) B太陽のエネルギー(第Vシンボル)と言う風に3種のエネルギーに分かれている。
これは特にレイキだけが勝手にそう解釈していると言う訳ではなく、私達の生活に対して最も身近なエネルギーの存在を考えると、 先ず大地の発するエネルギーがあり、これは我々人間を含めた全ての生命にエネルギーを与えている。動物も、植物も、 鉱物もそして大地から湧き出る水さえもこの大地のエネルギーからの恩恵を沢山受けていると言う事は充分理解できることだろう。
またAの月のエネルギーは、その満ち、引きが人間の生死のタイミングを左右したり、 また精神状態にも少なからぬ影響を与えると言うことも知られている。
最後にBの太陽のエネルギーは、一般的には日光として多くの植物の生育に恩恵を与えると共に、また人間の成育にも大きく関与している。

また俗に気≠ニいわれているものは、@の大地の気≠指す場合が多く、気≠フ強さを意識する人がこだわるのは実はこの大地の 気≠ノ関わる部分の事である場合が多い。
また武術においても、気魄などを後押ししたり、肉体のパワーを強化してくれる気≠ヘやはり@の気≠ニ言う事になる。
これら@の気≠ヘ病気の治癒に関しても大きな働きをしてくれるもので、やはり一般的なレベルでは気 の代表的な存在である事には間違いがない。

追伸
※今までこのハイパーレイキのブログの中で、ハイパーレイキ以外のジャンルについても時折取り上げて来たが、 現在加圧トレーニングに関するブログと個人の日記としてのブログを分割して、 それぞれのブログの初志の目的に沿った内容とするための努力をしています。
またハイパーレイキ協会の公式サイトや加圧トレーニング富田林支部の公式ブログなども徐々に充実させ、 本来の目的に沿ったブログとホームページを分離していく為の作業を行っています。

是非期待していてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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気≠フ質と強さについて-2

《気≠フ質について-1》

ハイパーレイキを含めたレイキ全般で扱うエネルギーの質は、@大地の気=i第Tシンボル)A月のエネルギー(第Uシンボル) B太陽のエネルギー(第Vシンボル)と言う風に3種のエネルギーに分かれている。
これは特にレイキだけが勝手にそう解釈していると言う訳ではなく、私達の生活に対して最も身近なエネルギーの存在を考えると、 先ず大地の発するエネルギーがあり、これは我々人間を含めた全ての生命にエネルギーを与えている。動物も、植物も、 鉱物もそして大地から湧き出る水さえもこの大地のエネルギーからの恩恵を沢山受けていると言う事は充分理解できることだろう。
またAの月のエネルギーは、その満ち、引きが人間の生死のタイミングを左右したり、 また精神状態にも少なからぬ影響を与えると言うことも知られている。
最後にBの太陽のエネルギーは、一般的には日光として多くの植物の生育に恩恵を与えると共に、また人間の成育にも大きく関与している。

また俗に気≠ニいわれているものは、@の大地の気≠指す場合が多く、気≠フ強さを意識する人がこだわるのは実はこの大地の 気≠ノ関わる部分の事である場合が多い。
また武術においても、気魄などを後押ししたり、肉体のパワーを強化してくれる気≠ヘやはり@の気≠ニ言う事になる。
これら@の気≠ヘ病気の治癒に関しても大きな働きをしてくれるもので、やはり一般的なレベルでは気 の代表的な存在である事には間違いがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2007年10月20日

気≠フ質と強さについて-1

《気≠フ強さにこだわる人》

私が本格的に気≠フ世界に関わる様になって10数年になるのだが、以前は気≠ニ言うと必ず強さにこだわる人が沢山居た。
何故気≠フ強さにこだわるのだろうか?

実は私も昔は気≠フ強さ、すなわちパワーにこだわり、ひたすらパワーを上げる事を自らの目標にしていた時期もあったのだが、 トレーニングを重ねて経験を積んでいるうちに、必要以上にパワーにこだわる事に対して意味の無いことを悟った。

昔の気功教室時代の私の生徒さんの中にもパワーにこだわり、どうしたらパワーを上げられるのかと悩んでいる人もいた。
また外部の人からは気≠フ強さを競おうとする、いわば他流試合のような挑発を受けた事もあった。
もともと武道出身の私からすれば、気≠フ強さを競う前に突きか蹴りで勝負をつけた方が早いと思うので、正直に「気 の強さを競う前にパンチかキックが飛んでも知りませんよ、自信があったら気≠ナ返して下さいね」と答えると、 そう言うくだらない問答はそこで終わる。

いくら気≠フパワーが強くても、パンチやキックは気≠フ力では止められないのである。

また気≠フ力で人を飛ばすと言うのがあった。
これも今から考えると愚かな話なのだが、しかしテレビにそう言うパフォーマンスを見せる輩が登場していた時期がある。
実は私の古い少林寺拳法時代の知人で、太○光○と言うのがいるが、彼などは気 で人を飛ばすのを売り物にして無知なマスコミの作ったブームに乗り、 日本とアメリカを行ったり来たりしながらいつの間にか関西と東京に道場を設けてオリジナルな武術や格闘技らしきものを指導している。
以前彼が大阪の堺で道場を開いていた時、彼の門人を通して是非私を飛ばして欲しいとお願いしたのだが、相手にして貰えなかった記憶がある。

彼が何をやろうがそれはそれで構わないのだが、ただ純粋に気≠ナ人が飛ばせると信じる人を集めて金銭を巻き上げ、 いつまで経っても結果が出せないのならそれは大きな問題だと思う。
ここで純粋にと言うのは、暗示作用無しにと言う意味である。

特に武術の世界で言う気≠フ強さと言うのは、肉体的な強さに伴ってより発揮できると言うのが私の考え方である。
20年以上も前の事であるが、大阪の武当派研究会(当時)の七堂氏の計らいで、 中国の八極拳の宗家である呉連枝老師から直接指導を受ける機会があったが、やはり気の力(勁力) と言うものは肉体を通して出るものである事が良く判った。
また中国散打の生みの親の一人であるショウコウセン老師からも直接師事する機会も得たが、やはり呉老師の場合と同じ結果であった。

気≠フ鍛錬と言うのも必要なものではあるが、しかし地面に長時間立っているだけでパワーが上がると考えている人がいたら、 少し考え直して見て欲しい。
そしてそう言う指導をしている人に対して、是非その意味をちゃんと説明して貰って欲しいと思う。

私はこのハイパーレイキを通して、武術を学ぶ人にも講習をしているが、やはり武術の世界で大切な事は肉体的な鍛錬である。
そしてその肉体的鍛錬に裏付けられた肉体に、さらにエネルギーを充分に補い、高め、さらに実践で気 をいかに運用法するかを連携して行く必要がある。

私はこのハイパーレイキ以外にも仕事として加圧トレーニングを扱っているが、 この加圧トレーニングなどはまさに肉体的な鍛錬と体内における気血の鍛錬には最適であり、 また私自身はそう言う視点でも加圧トレーニングを捉えて関連学会などでもその点を強調している。※新規にブログも公開中、是非こちらも宜しく。

『気≠フ世界だけに目を向けている人々の多くは肉体的な鍛錬を軽んじ、肉体的な鍛錬を重視する人はその肉体の衰えを感じるまで気 の世界に目を向けない。
そして肉体≠ニ気≠フ両面を重視する人でさえ心の鍛錬*レを向ける人は少ない。

これが現実なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2007年10月17日

素人文化

《素人大国日本》

最近テレビドラマを見ていて思うのだが、アメリカのドラマと日本のドラマに大きな違いがあるように思えて仕方が無い。
何が違うかと言うと、一言で言うとアメリカのドラマにあるリアリティが日本のドラマでは全く無いか、あっても薄いと感じるのである。

そこでじぶんなりに何故そのように感じるのかを考えて見ると、それはどうやら金を掛けているかいないかの違いだけではないようである。
もっとも日本のドラマはアメリカのそれに比べて確かに金の掛かっていない物が多い様に思える。
それは金を掛けないで安く仕上げればスポンサーから入る広告収入による利益が大きいからなのだろう。

しかしもっと安っぽいのはドラマに出てくる出演者の演技力の問題だろう。
日本のドラマでは視聴率を取るために人気のある歌手など、本来演技の下地のない者を主演に使ったりする事が多い。 要するにだれでも人気があって言葉さえしゃべれれば俳優になれるのである。
やはり昔に比べるとまともに演劇などの訓練を積んだ人達が出てくる機会が減っているのではないだろうか?

つまり元々役者を志してドラマに出ている者と、歌手かなんぞで人気が出たからドラマに起用された人間と、 当然心構えからして違うだろうし、また基礎が出来ている者とそうでないものとの違いが出てきて当然だろう。

要するに人気さえあれば誰でも主演になれるようなドラマが、日本のドラマの主流になっていると思われる。

これはドラマだけではなく、色んなところにそう言う現象が進んでいる。

食の世界だってそうである。
特にチェーンのファミリーレストランなんかに行くと、調理もアマチュア、給仕もバイトやパートで、 うまく行ってもマニュアルどおりと言う世界である。

昨日までサラリーマンだった人が、数ヶ月後にはこだわりラーメンの店長になってたりするのだから困ってしまう。

こう言う現象は日本のあらゆるところに侵食しているのではないかと思える。

例えば時々このブログでも例を挙げる、福祉の世界でもそうである。
特にこう言う世界は『始めに志ありき』であり、『始めに利益ありき』のコムスンなどが自爆するのも素人福祉、 にわか福祉の当然の結末だと思う。

様々な世情があるにせよ、 様々な分野でこう言う素人文化が広がる事は日本の文化全体としては大きな損失を生む事につながるように思える。

《プロとアマ》

それではプロとアマの差というものはどこにあるのだろうか。

先ず私はバックグランドの広さと深さに大きな違いを見出す。

例えば私が主宰している『ハイパーレイキ』を含めたレイキの世界を考えて見よう。
日本の多くのレイキティチャーは、レイキの第1段階から第3段階までを学んだ後、俗にティチャーズ・ ディグリーと呼ばれる教師養成講座を受けてレイキ教師≠ニ呼ばれる人になるのだが、問題はこの講座の内容である。

通常このティチャーズ・ディグリーは2日間程度で各段階に応じた伝授(回路の開き方)の実技指導と、 各段階での指導ポイントなどをレクチャーするのであるが、果たしてそれだけでプロと言える価値を持ったレイキ教師≠ェ養成できるだろうか?

ちなみにハイパーレイキとしても年に2回程度の教師養成講座を開講している。
内容としては、2段階に分けて先ず2日間で第1と2段階の教師になるための講習を受けて貰い教師補となる。

この教師補は受講者に対して第1段階と第2段階の伝授が出来るのであり、一定の期間一定の人数に対して伝授を行った後、 第3段階に対する伝授方法を1日かけて学んで貰い、正教師となるのである。

また教師養成講座の受講資格としては、シンセティック・セラピー学院≠フエナジートリートメント講座(http://www.ki-jp.com/therapist/energy.html) を受講し、東洋医学の基礎、元極学講座、外気療法士養成講座等、 ハイパーレイキの周辺領域を6ヶ月間の開講期間のうちおよそ6日間40時間近くをかけて学んで貰っている。

その講座が修了して初めて教師養成講座を受講出来るのである。

そこまでするその目的は、少しでもプロとして通用するレイキ教師≠養成し、レイキの質を向上させたいからであり、 私としてはまだ今の水準で満足している訳ではない。
やはりハイパーレイキ教師≠ノ相応しい人格や資質ももっと向上させたいと思うからである。

《素人文化》

レイキの業界のことはともかくとして、素人の台頭は食やドラマの世界だけではない。

ズバリ政治の世界や官僚の世界でも全く同じ事が言える。
国民の利益を守らず、目先の収益性だけで流れを変える政治家や、国民の血税を湯水のように使い、 挙句は外国に金だけをばら撒いてその相手に馬鹿にされるような外交施策も素人政治の結果である。

しかし資金のごまかし≠竍ちょろまかし≠セけはしっかりしていて、 自分達の利益の保全だけはプロフェッショナルな政治家や官僚や役人が沢山いる。

例を挙げたらキリがないが、教育の世界だって芸術の世界だって、企業の世界だって同じようなことがいくらでも挙げられる。

こう言う現象を私は素人文化≠ニ呼んでいる。

これ以上プロぶった素人達が、 形ばかりでごまかしている現象を許していると日本の大切な部分が根幹から崩れてしまうように思うのは私だけだろうか?



 


 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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