《気付きと悟り》
一昔前、『気付きのセミナー』と言うのが流行った事があった。
時期で言うと20年以上になると思うので、恐らくまたそう言う類のセミナーのようなものが流行ってくるかも知れない。
ところで案外知られていないのが、気付きと悟りについてである。
要するに悟りと気付きは同じ意味を持つものである。
こう言うと「それは違う」と言う人がいるかも知れないが、しかし屁理屈はどうでも、両者は極端に言えば同じものである。
但し気付きの中には大きな気付きもあれば、小さな気付きもある。
例えば学生時代にどうしても解けなかった数学の問題が、
何度かリトライを繰り返しているうちにハット解けた経験を持つ人も多いだろうが、これも一つの気付きであり悟りでもある。
また仕事上の大きな問題を抱えていて、長期間悩んでいるときあるきっかけでふと打開策を得られた時、これも気付きであり悟りである。
当然数学の問題が解けるのと、仕事上の大きな問題が解決出来るのとはスケールが違うから、
この二つの気付きは小さな気付きと大きな気付きとの差がある、と言う事になる。
《気付きは蓄積される》
色々な人の中には、同じ過ち(失敗?)を繰り返しながら生きている人がいる。
しかし失敗から学べる事も沢山あるので、失敗と言うのは人生にとって有意義な結果につながる事も多い。
世の中には一見失敗と思われる事から悟り、それが糧となって成功につながった経験を持つ人は多い。
また失敗するしないに関わらず、小さな悟りが積み重なる事で大きな悟りを得る人も多い。
実際人生の多くの場面では、突然雷鳴に打たれるような大きな悟りを得られると言う事は殆ど無いだろう。
もちろん無いとは言い切れないから、それは個人個人の人生に委ねるとしよう。
しかし多くの場合は、一見些細な気付きや悟りがあって、それが積み重なる事で自分の意識に変化をもたらしていく。
これは私の子供が小さいときの話だが、当時幼稚園くらいだった下の子に自転車の乗り方を教えていたときの事である。
何度も何度も失敗しながら自転車の練習をしていたその子が、突然後ろを持たなくても自転車が自分で乗れるようになった。
それを見ていた二つ上の子が突然「人間はある日突然出来るようになるんやな〜」と言い出した。
今まで何度も何度もこけたり、泣いたりして全く乗れなかった下の子が、突然自力で乗れるようになったのを見て、
まさにそう言う風に写ったのだろう。
しかし実際は練習を繰り返し、転倒を繰り返した体験の積み重ねが、ある時忽然と自力で乗れると言う境地に導いてくれたのである。
《意識の変革について》
これは人間の意識の変革にも結び付けて考える事が出来る。
要するに小さな気付きや悟りが積み重なってくると、ある時本当に些細な事がきっかけとなって、大きな意識の変革(大きな悟り)
がやって来る事がある。
この小さな気付きや悟りには、先ほども述べた失敗などの全ての体験が含まれているのである。
気付くか気付かないかはその人の心がけと心構え次第。
常に自己の向上を心がけている人は、自分にとって善い事も悪い事も分け隔てなく、自分や自分の周りに起こった出来事を受け入れ、
それを糧とするだろう。
しかしご都合主義の人は、自分の尺度だけで物事の良否を決めて、都合の良い事だけを受け入れようとする。
また否定的な感情の持ち主は、自分に起こった否定的な出来事に囚われて、常にそう言う出来事を恐れ、
そしてそう言う出来事を自分自身に引き寄せる。
実は善い事悪い事と言うのは見方だけの問題で、どう捕らえるかはその人次第なのである。
ご都合主義で生きるか、否定的な感情に支配されて生きるか、それとも森羅万象の全てをわが糧として生きるかはその人次第であるが、
私は最後の行き方を選んでいるし、またそう言う人達と共に生きて生きたいと思っている。
posted by オリエンタル・メソッド at 13:09| 大阪 ☁|
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