2008年06月09日

自信とパワー-2

《生きる事の裏づけとなるもの》

私達が生きて行くと言う事は一体どういうことなのだろうか?

例えば先日東京秋葉原で起こった無差別殺人の犯人となった人物など、ああ言う人生の結末に至るまで、 一体どのような人生を送ってきたのだろうか?

もし彼に漠然とでも『生きがい』と言ったものあればが、恐らくあんな事件を起こさなかったのではないだろうか。
恐らく彼にとって彼の存在自体が価値の無いものだったに違いない。

確かに『生きることの意味』や『生きていく事の裏づけ』と言ったものは、全ての人が明確に持っている訳ではないと思う。

私は常に「ハイパーレイキは単なるヒーリングや治療の手段では無い」と言い、また「ハイパーレイキは自助と自立と自立を助ける道具である」 と明言しているが、このハイパーレイキが自助、自立の手段として活用できる為には、 そこに自分が生きる事の裏づけとなる明確な目標や目的が無くてはならない。

そして今、現在、明確な目標、目的が無ければそれを見出す事が目標となる。

人それぞれに生き方が違うから、一概に目標、目的の質や内容を論ずる事は難しいが、建前の立派さはさておき、 本音の部分では単なる金儲けだけを目的として、金さえ儲かれば、金持ちになれるのだったら何だってやるぞ、と言う事を目標にする人と、 自分の仕事や存在を通して少しでも人や社会の為に貢献しよう、と願う人では当然生き方のクォリティに大きな違いがあろう。

それでもただただ、その日暮らしで生きる事に追われて無目的な一日を終えるのと、 少しでも目的や目標に向かっての一日を終えるのとでは大きな違いがある事だろう。

私が考える自信とは、『先ず自分が生きる目標、目的を明確に自覚している事であり、 そしてそれを実現する為に自分を支えてくれる良質かつ強力なパワーがある事』だと思う。

車に例えると強いパワーは強力なエンジンを持つ車であり、 エネルギーの質はそのパワーに見合った足回りと制動能力などの安全性能である。
そしてエンジンがたとえ有り余る力を持っていても、どこに行くかと言う目的が無ければただいたずらにその辺を走り回る暴走族と変わりが無い。

強力なパワーを持つ高性能な車は、どこに行くのか、何のために走るのかと言う明確な目的を得てこそ、安全に快適に、 そして早く目的地に私を運んでくれることが可能となる。

明確な目的さえあれば、自分は必ずそれを実現できると言うパワーの裏づけ、これこそがまさに本当の自信なのだと私は考えている。

この点には年齢や性別や、職業や経験などには一切関係が無く、もちろん地位や資格などにも全く関係が無い。

本当に大切なのは明確な到達点と、強力かつ良質なパワーの裏づけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

posted by オリエンタル・メソッド at 20:56| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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