《本当の自信について》
ひょっとしたらこの自信というものについては、以前このブログで触れたかも判らないが、時期が変わると視点も変わるので、 あえて触れて見る事にした。
私は自分がハイパーレイキのセミナーを実施する時に、受講者の方に時々この話をする事がある。
先ず「貴方にとって自信とは何ですか?」と訊ねるのだが、それぞれに返って来る回答は違う。
ある人は仕事上の実績のようなものを自信だととらえているし、またある人は自分の持つ技術的な要素を自信だととらえている。
またある人は健康こそが自信だとも言う。
この他にも経済的な豊かさを自信だととらえる人もいるだろうし、或いは社会的な地位を自信だととらえる人もいる事だと思う。
しかし私はこの自信の最も基礎的かつ重要な要素を、自分の持つ気=A即ちパワーの質と強さだと理解している。
例えばかつて私がそうであったように、武道などで肉体的な鍛錬を積んだ人の中には、肉体的な強さが自信の大部分であると感じている人も多い。
しかしこれはある程度の年齢までで、肉体的な衰えと精神的な成熟との兼ね合いから、
肉体を越えた目に見えない何かに関心を寄せるようになる人も多い。
但し一部の武術愛好家や武道家の中には、実際以上に気≠フ神秘的な部分に憧れて、必要以上に気
に何かを求めようとする傾向も見られるが、それはある種の偏りであり、あくまでも気
の住みかである鍛えられ整えられた肉体が重要である事には間違いがない。
要するに肉体的な鍛錬は幾つになっても必要であり、気≠重視するあまり肉体的な鍛錬をおろそかにする事は間違いである。
武道家の話はさておき、一般の人の場合でもよく整えられた肉体と言うものは、気≠云々する以前に重要である事は間違いが無い。
ここではその整えられた肉体あっての気≠ニ言う話になるのだが、要するにこの気≠フ質が悪く強さが低下していれば、
核心から自信を持つ事が困難となる。
この辺の話はレイキやハイパーレイキだけではなく、人生全般において重要となるので、 私の経験も踏まえて何回かに分けて解説していくことにしたい。