2007年10月10日

聖徳太子ツアー2

《法隆寺付近散策》

9月17日、明日香を離れて次は一路法隆寺に向かう。

明日香から法隆寺まではそんなに遠い距離ではないのだが、祭日のせいか道は混んでいた。
車を売店の駐車場に止めて500円の駐車料金を払うと、その店で1,500円以上の買い物をすると駐車料金が返ってくると言うので、 それにつられてその店で昼食を摂る。

私は実は1週間前にもこの法隆寺(http://www.horyuji.or.jp/) に人を連れてきていたので、今回は見て回るコースを考えて見た。
特に当日は修学旅行の生徒が大量に来ていたので、これに巻き込まれないようにとも思い、先ずは回廊に囲まれた西伽藍に入り、金堂、五重塔、 講堂などを拝観する。

ここで一旦回廊の外に出て大宝蔵院に入る。
ここには法隆寺の寺宝が(夢違観音像(白鳳時代)・玉虫厨子(飛鳥時代)・金銅阿弥陀三尊像を本尊とする橘夫人厨子(白鳳時代)、 百万塔や中国から伝えられた白壇造りの九面観音像・天人の描かれた金堂小壁画など)が展示されているので、十分な時間をとって拝観する。
中学の歴史で学んだ仏像などがじかに見られるのがうれしい。


次いで一旦法隆寺から離れて中宮寺(http://www.horyuji.or.jp/chuguji.htm) を訪れる。
ここでは池の中に建てられたコンクリート造りの新本堂が目玉らしい。
また本堂は改修工事中で、そちらの方は一切拝観などが出来ない状態だった。
でも拝観料は値下げされていなかった?

中宮寺の新本堂
池の中に建てられた新本堂

この新本堂の中にはアルカイックスマイルで有名な弥勒菩薩や、 曼荼羅で知られる天寿国繍帳が展示されているのだが、いくら火災を憂慮したとは言え、このコンクリートの新本堂はいただけない。
昭和43年の建設と言うことだが、法隆寺をはじめとして、法起寺、 法輪寺など周辺の寺院とのバランスを考えると私はかなりチグハグさを感じた。
この中宮寺は聖徳太子の母君である穴穂部間人皇后の御願によって、 太子の宮居斑鳩宮を中央にして、西の法隆寺と対照的な位置に創建されたとの事であり、尼寺との事であったが尼さんの姿を見ることは無かった。 きっと暑いので涼しいところにいるのだろう。

次に中宮寺から徒歩で20分ほど離れた法起寺に向かう。
9月半ばとは言え、真夏と変わらない日差しとコンクリートの照り返しの強さには参った。
今度来るときは時期を選ばなければならない。

田んぼの中の法起寺

法起寺が見えて来た

『遠くて近きは男女の仲、近くて遠きは田舎の道』と言うが、 まさに見えているのになかなか近づけない法起寺(http://www.horyuji.or.jp/hokiji.htm) だった。

 この法起寺は、推古14年(606)に聖徳太子が法華経を講説したという岡本宮を寺に改めたものだとされる。
聖徳太子建立七ヵ寺(法起寺、法隆寺、四天王寺、中宮寺、橘寺、広隆寺、葛城寺;不明確で現在は無い)の一つにかぞえられてる。
この寺は珍しく境内に入るのにお金は取られなかったが、宝物殿(収蔵蔵)の拝観料が必要との事だった。

これには入らないで次の法輪寺に向かう。

法輪寺(http://www1.kcn.ne.jp/~horinji/index.html) は太子の病気平安を祈願して建立されたとされる寺。

法輪寺三重塔

三重塔

 

法輪寺を後にして、再び法隆寺に戻る。

今度は東伽藍の夢殿を拝観に行く。この夢殿は行信僧都という高僧が、太子の遺徳を偲んで天平11年(739) に建てた伽藍の中心となる建物で、八角円堂の中央の厨子には、聖徳太子等身と言われる救世観音像(飛鳥時代)が安置され、 その周囲に聖観音菩薩像(平安時代)、乾漆の行信僧都像(奈良時代)、平安時代に夢殿を修理した道詮律師の塑像(平安時代) などがも安置されている。

夢殿

 

そして法隆寺を後にし、最終予定地であった大阪府南河内郡太子町にある、叡福寺に向かう。

ここ叡福寺(http://www.y-morimoto.com/s_saigoku/s_saigokuK3.html ) (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A1%E7%A6%8F%E5%AF%BA) は聖徳太子の墓所のある寺。
リンク先を探そうと検索しても、何故か公式ホームページが見当たらない。
この寺の特徴は、境内にある塔や金堂などは寺院の管理であるが、聖徳太子の御廟については宮内庁の管轄であると言う事。
また聖徳太子を祭ると言う事よりは、どちらかと言うと霊園の経営とこれに付帯する事業が中心と言う印象が強い。
いわば霊園管理業が中心の事業のようであるし、 またこの霊園建設にちなんだ贈収賄事件では複数の逮捕者が出たり2名の自殺者がでたりした事も、 聖徳太子の墓所の寺としては末代に残る恥とも言うべき歴史的な汚点を残している。
太子町と言う町自体も、聖徳太子の墓所にちなんだ町であると言う自覚のようなものは全く無さそうである。

もっとも今まで回ってきた太子関連寺院のように、境内に入るのに拝観料を取ると言う訳でも無いが、 例え拝観料を取っても他の太子関連寺院のように大勢の観光客が訪れる要素はない。
聖徳太子を慕う日本人は全国に沢山いるのに、何故太子の墓所のあるこの寺だけが栄えていないのか、経営者? にはもっと真剣に考えて欲しいものである。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

posted by オリエンタル・メソッド at 11:59| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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