《倫理は死んだか》
この頃毎日暗くて嫌なニュースが流れています。
何故罪も無い子供がこうも簡単に殺されなければならないのか?
そして考えなければならないのは、子供を簡単に殺してしまう殺人者側の状態についてです。
恐らくこれらの殺人を犯す人間の脳の状態や、また心理的な状態は一昔前ならば完全に異常者の状態であったと考えられます。
ところが最近は異常と正常の境界が非常にあいまいになって来ているようで、正常とも異常とも言えない状態の人々が沢山生活しています。
先日も広島で小学生を殺した外国人の犯人が、「誰かが殺せと命じた」というような事を言っているらしいのですが、 まさに自分の精神と肉体が誰かに操られているかのように、主体性の無い凶悪犯罪が増加しているような気がします。
だから犯人にしても、罪悪感があまりにも希薄なのでしょう。まさに何かに魂を乗っ取られたかのようにです。
こうなるといくら学校で命の大切さを教え、教師が口を酸っぱくして倫理観を教え込もうとしても、入り込む余地が無いのかも知れません。 まあ教師の中にも問題のある人が増えている世情ですから、説得力がないのもいたし方ありません。
《価値観と心構え》
ここまでの悪質な犯罪ではないにしても、最近は企業でも倫理観が薄れて来ているように思える事が多々あります。
少し前ではライブドアが大きな問題になっていましたが、もう少しさかのぼれば輸入牛肉に絡んだ食肉業界の問題や、 雪印の事件などに端を発した一連の問題など、そして最近では種類はちょっと違いますが大阪の飛鳥会と大阪市の問題など、 企業が生活者を欺いたり、公が市民や国民を欺いたり食い物にする事がまかり通っています。
もちろんそれぞれの事件は背景も違えば、内容も違うので全てを一緒に扱う事は無理があるでしょうが、 何故こう言う事が日常的に起こるかと言えば、それは事件に関わる個々の人間の価値観に関わっていると考えられます。
最近私の身近なところでも、ちょっとした不愉快な出来事がありました。 これも身内の事を考えずに自分さえ良ければと言う独りよがりな価値観からくる出来事でした。
以前にもこのブログで書いた事がありますが、今のビジネスの風潮の中にも、概ね30代前後の年齢層を中心として、 商品はくだらないものでも売り方さえうまくやればどんどん売れると考え方があり、またそれを煽る事をビジネスにしている人もいるようです。
またさらにそう言う世代をうまくコントロールしようとする中高年の先駆者達がいます。
こう言った価値観が蔓延し、売り方だけで物が売れていくようになってくると、まともに物を作っている人々の意欲が削がれて行き、 徐々に日本のもの造りに関わる文化が歪んで行きます。
特にインターネットの発達はこれらの傾向に拍車をかけているようで、ライブドアのように幻(まぼろし)のような会社がいくつも現れて、 巨額の資金を獲得している構図は、まさに昭和維新の歌≠フ背景をも彷彿させるような感があります。
しかしどんな時代になっても、またどんな状況陥ったとしても企業としての倫理を貫く会社もあれば、 いくら自分が利益を上げたいからと言って、ルールーを無視して自分だけが得をしようとするような事をする人ばかりではありません。
企業は人なりと言いますが、結局全ては企業を動かすトップの人達や、各々の人達の価値観から来ていると言えるでしょう。
私の好きな言葉に伴ばは我が身の幸せを、伴ばは他人の幸せを≠ニ言う言葉がありますが、例えどんな世の中になっても、 半分くらいは自分以外の人の幸せを考えられる価値観と、そしてそれを貫く心構えを持ちたいものです。