《逃げた方が得か》
時々自分の周りで目に付くケースで、都合が悪くなったら逃げ出す人と言うのがある。
これは全てが悪いと言う訳ではないが、自分が不義理をしてその状況に居辛くなると、何やかやと理由をつけてそこから立ち去ろうとする。
と言えば判りやすいだろうか?
会社の中で例えると、ある社員が社内でルール違反をして抜け駆けをする、
そしてその事を上司に指摘されるとその場しのぎの言い訳でごまかしてその場を繕う。
しかしそれで何かの事実が変わるわけではないから、その社員は上司から信用を失う訳である。
当然上司の態度は今までとは変わってくるから、段々とその会社に居辛くなって来る。
そこである時期にもっともらしい理由をつけてその会社を辞めるのである。
前の会社は待遇が悪いとか、上司が悪いやつだと言う理由で別の会社に移るとか。
前の会社では自分の理想は得られないから、自分で独立して新しいビジネスを起こすとか。
とにかく何かの建前を振りかざして出て行くのである。
真実がわからない回りから見ると、これは非常に前向きな行動と写るかも知れないが、 しかし真実は自分が蒔いた種を刈らないままで逃亡すると言う事になるのである。
何故このブログでこんな事を取り上げるかと言うと、実はエネルギーの質に関わる問題だからである。
こう言う結末の付け方をすると、上辺はごまかせても自分の潜在意識の中では、
自分が嘘つきで都合が悪くて逃げ出したと言うラベルをずっと剥がせないままでいる事になる。
実はこの事が将来に渡って自分の足を引っ張る事になるのである。
昨日もそう言う類の人と話をした。
少し金銭が絡む複雑な話なので、詳細は省略するが、ここで相手の人は、現実にあった事を平気で知らないと言い、 自分が何人かの人の前で言った事を、また平気で言わないと言いはるのである。
ある程度古い話なので、忘れたと言うのなら判るが、言わないと断言する事は明らかにその場の会話から逃れるための嘘であり、 意識的に放たれた言葉である。
またこの人は私だけではなく、多くの人に対してこう言う嘘を積み重ね、 自分の不都合な事から逃げていく人生を繰り返している人なのである。
本人にすれば逃げおおせれば勝ちだとの思いがあるのだろうが、相手と表面的な縁が切れても自分の潜在意識の中では嘘を重ねたり、
逃げる事を繰り返したりしている不合理さが積み重なっている。
この不合理さが自分のエネルギーの質を歪めていくのである。
エネルギーの強さにこだわる人は多いが、エネルギーの本質にこだわる人は少ない。
徳を積む事がエネルギーの質を高めると道教では説くが、
逆に自分の潜在意識に蓄積された自分の不徳がエネルギーの質を低下させる事も知らなければならない。
《嫌な事から逃げると、もっと嫌な事が真正面からやってくる》
そしてもっと困った事に、この潜在意識の中で自分が自分の行動が原因で張ったラベル (この場合は都合が悪くなったら逃げるとか嘘をついてごまかすとか言う自己評価)が原因で、さらに逃げなければならない場面や、 嘘をつかなければならない場面を自分に引き付けて行くのである。
もし人生最後まで逃げおおせるのならそれもまた人生なのだが、最後には嘘をつききれない、或いは逃げおおせない場面が必ずやってくる。
なぜなら自分のエネルギーの質がどんどんとそう言うモノを引き寄せて行くからである。
そうなったら怪しげな宗教に頼ったり、得体の知れない何かに縋ってもどうにもならない。
結局は迫り来る問題に、正面から立ち向かおうとしなかった報いを受けるからである。
人間に過ちは付き物である。
しかし自分の犯した過ちをきっかけにある人は学び、立ち直り、そしてより強くあるいは優しくなるのであるが、ある人は嘘でごまかし、
逃れてまた同じ過ちを繰り返していくのである。
この両者のエネルギーの質に大きな違いがある事、これは至極判りやすい事だと思うのだが。