2008年03月07日

春になると-1

《陽気発動》

「春は名のみの・・・」と言うけれど、日差しだけは春を感じさせる日が多くなってきた。
先日も仕事で里山の中にある学校に行っていたが、窓から見える空と日差しは春そのものだった。

しかし仕事を終えて外へ出たとたんに、風の冷たさに飛び上がる思いがした。

さて気≠ニ言うものは四季と密接に結びついていると考えられるが、特に春と言う季節は気≠フ変動が激しいものである。
特に春と言う季節と気≠ニの関わりを示す言葉には、『木の芽障り』とか『春眠暁を覚えず』と言った言葉が知られているが、『木の芽障り』 は木の芽が吹き出る頃に体調を崩す事を言い、『春眠暁を覚えず』は春になると冬の寒さの為とはまた違って、 朝が起きにくい状態を言うのである。

気≠ニ言う視点で考えると、この両者はいずれも春に大地の気≠フ変動が大きくなる事が原因だと思われる。

大地の気≠フ変動が大きくなると、これに呼応して、人気(にんきでは無くじんきと読む)も影響を受け、体
内の気≠フ動きが活発になる。
これらの影響で人によっては体調に変化をきたしたりする事があるが、これが『木の芽障り』とか『春眠暁を覚えず』 と言う具体的な状態として説明されている訳である。

こう言う反応を起こす人と起こさない人がいるが、四季の変化による気≠フ変動に全く呼応しない人と言うのは、ひょっとしたら気 から断絶した状態の人なのかも知れない。

やはり時代が変わり、生活環境が大きく変わったとしても、我々人間は大地の気≠フ恩恵を計り知れないほど受けているのであって、気 から離れれば離れるほど何らかの問題があると私は考えている。

町で売っている食べ物一つを取って見てもそれが言える。
今やお金さえ出せば年中違う季節の野菜や果物が食べられる。
ところが旬のものと言うのは見てくれが同じなら中身も同じかと言うと、けっしてそうでは無い。
つまり四季の大地の陽気が最も盛んな時に、その陽気を取り込んで成長しているのが旬のもの≠フ特徴なのである。

従ってそれらの旬のものに含まれる気≠ヘ『飲食の気』或いは『水穀の気』と言われ、食べ物の中に含まれる気≠ニして我々の気 を補ってくれる。

しかし形だけで中身の気≠フ抜けた食物では気≠補う事が出来ない。
最近の野菜などは、昔と比べて10分の1以下まで栄養価が下がっていると言われているが、気 が抜けておまけに栄養価まで下がった野菜や果物を、高い金を出して買うと言うのはまさに馬鹿げているとしか言いようがない。
それでも多くの人は見栄えの良い野菜や果物に好んで高い金を払う。

でも中身の無い形だけなのは野菜や果物だけでは無く、人間だって同じ事が言える。
私には中身の無い形だけの人間がどんどん増殖している様に思えて仕方が無いのだが、実はそれは人間が大地の気 から遠ざかっている事と何か関わりがあるのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

posted by オリエンタル・メソッド at 11:06| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。