2007年10月29日

気≠フ強さと質について-3

《気≠フ質について-2》

気の質についてハイパーレイキとしての解釈は前回に述べて見た。
また一般的にレイキの世界では、第2シンボルは潜在意識に働きかけるシンボルとして知られ、 また第3シンボルは時間や空間を越える働きを持つと言われている。
第1シンボルがパワーシンボルとして、エネルギー強化と言う役割を担う点から、第2段階(セカンドディグリー) の中でこれら3つのシンボルが伝授されると言うのは、実に見事な配合と言える。

さらに気≠フ質について考えて行くともっと深く掘り下げて行く事が出来るのだが、ここでは少し視点を変えて違う側面から気 の質についてを見ることにする。

そこで考えなければならないのは、気≠ニ意識の関係である。
気≠ニ人間の感情の層と言った方が判りやすいのかも知れない。
これも深く掘り下げるとキリが無いが、要するに人間には共通した感情の層があると言う考え方。 つまりある種のシンクロニシティを構成する媒体についてである。
この層を心理学的にでは無く、気≠フ側面から考えて見ると、これを天、地、人の3種の気≠フ中の人の気≠ニ考える事が出来る。

すなわち我々人間が発する気≠竅Aその気≠ェ形成する気≠フ層を人の気≠ニ呼称していると考えられる訳である。
天の気≠ヘ宇宙の根源的エネルギーを指し、地の気≠ヘ大地の発するエネルギーを指し、そして人の気 は人の発するエネルギーとそのエネルギーが形成する層を指す。

そしてその人の気≠ナ形成する層の中には、人の発する情報や人類に共通した様々な過去からの情報などが蓄積されている。
すなわちこれが気≠ノは情報が含まれる。と言う考え方の根拠となるものである。

ハイパーレイキでは人が天と地からエネルギーを取り込んで人の気≠ニして外に出すと考えているのであるが、その人の出す気≠ノは、 その人の持つ感情や情報が含まれ、その気≠フ質を決定している。

従って気≠発する人の持つ情報、知識、経験、価値観、心構えなどが気 を受ける側にも影響を与える可能性がある事を充分考えなければならないだろう。

(気≠フ強さと質について、一先ず終了)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2007年10月27日

気≠フ質と強さについて-3

《気≠フ質について-1》

ハイパーレイキを含めたレイキ全般で扱うエネルギーの質は、@大地の気=i第Tシンボル)A月のエネルギー(第Uシンボル) B太陽のエネルギー(第Vシンボル)と言う風に3種のエネルギーに分かれている。
これは特にレイキだけが勝手にそう解釈していると言う訳ではなく、私達の生活に対して最も身近なエネルギーの存在を考えると、 先ず大地の発するエネルギーがあり、これは我々人間を含めた全ての生命にエネルギーを与えている。動物も、植物も、 鉱物もそして大地から湧き出る水さえもこの大地のエネルギーからの恩恵を沢山受けていると言う事は充分理解できることだろう。
またAの月のエネルギーは、その満ち、引きが人間の生死のタイミングを左右したり、 また精神状態にも少なからぬ影響を与えると言うことも知られている。
最後にBの太陽のエネルギーは、一般的には日光として多くの植物の生育に恩恵を与えると共に、また人間の成育にも大きく関与している。

また俗に気≠ニいわれているものは、@の大地の気≠指す場合が多く、気≠フ強さを意識する人がこだわるのは実はこの大地の 気≠ノ関わる部分の事である場合が多い。
また武術においても、気魄などを後押ししたり、肉体のパワーを強化してくれる気≠ヘやはり@の気≠ニ言う事になる。
これら@の気≠ヘ病気の治癒に関しても大きな働きをしてくれるもので、やはり一般的なレベルでは気 の代表的な存在である事には間違いがない。

追伸
※今までこのハイパーレイキのブログの中で、ハイパーレイキ以外のジャンルについても時折取り上げて来たが、 現在加圧トレーニングに関するブログと個人の日記としてのブログを分割して、 それぞれのブログの初志の目的に沿った内容とするための努力をしています。
またハイパーレイキ協会の公式サイトや加圧トレーニング富田林支部の公式ブログなども徐々に充実させ、 本来の目的に沿ったブログとホームページを分離していく為の作業を行っています。

是非期待していてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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気≠フ質と強さについて-2

《気≠フ質について-1》

ハイパーレイキを含めたレイキ全般で扱うエネルギーの質は、@大地の気=i第Tシンボル)A月のエネルギー(第Uシンボル) B太陽のエネルギー(第Vシンボル)と言う風に3種のエネルギーに分かれている。
これは特にレイキだけが勝手にそう解釈していると言う訳ではなく、私達の生活に対して最も身近なエネルギーの存在を考えると、 先ず大地の発するエネルギーがあり、これは我々人間を含めた全ての生命にエネルギーを与えている。動物も、植物も、 鉱物もそして大地から湧き出る水さえもこの大地のエネルギーからの恩恵を沢山受けていると言う事は充分理解できることだろう。
またAの月のエネルギーは、その満ち、引きが人間の生死のタイミングを左右したり、 また精神状態にも少なからぬ影響を与えると言うことも知られている。
最後にBの太陽のエネルギーは、一般的には日光として多くの植物の生育に恩恵を与えると共に、また人間の成育にも大きく関与している。

また俗に気≠ニいわれているものは、@の大地の気≠指す場合が多く、気≠フ強さを意識する人がこだわるのは実はこの大地の 気≠ノ関わる部分の事である場合が多い。
また武術においても、気魄などを後押ししたり、肉体のパワーを強化してくれる気≠ヘやはり@の気≠ニ言う事になる。
これら@の気≠ヘ病気の治癒に関しても大きな働きをしてくれるもので、やはり一般的なレベルでは気 の代表的な存在である事には間違いがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2007年10月20日

気≠フ質と強さについて-1

《気≠フ強さにこだわる人》

私が本格的に気≠フ世界に関わる様になって10数年になるのだが、以前は気≠ニ言うと必ず強さにこだわる人が沢山居た。
何故気≠フ強さにこだわるのだろうか?

実は私も昔は気≠フ強さ、すなわちパワーにこだわり、ひたすらパワーを上げる事を自らの目標にしていた時期もあったのだが、 トレーニングを重ねて経験を積んでいるうちに、必要以上にパワーにこだわる事に対して意味の無いことを悟った。

昔の気功教室時代の私の生徒さんの中にもパワーにこだわり、どうしたらパワーを上げられるのかと悩んでいる人もいた。
また外部の人からは気≠フ強さを競おうとする、いわば他流試合のような挑発を受けた事もあった。
もともと武道出身の私からすれば、気≠フ強さを競う前に突きか蹴りで勝負をつけた方が早いと思うので、正直に「気 の強さを競う前にパンチかキックが飛んでも知りませんよ、自信があったら気≠ナ返して下さいね」と答えると、 そう言うくだらない問答はそこで終わる。

いくら気≠フパワーが強くても、パンチやキックは気≠フ力では止められないのである。

また気≠フ力で人を飛ばすと言うのがあった。
これも今から考えると愚かな話なのだが、しかしテレビにそう言うパフォーマンスを見せる輩が登場していた時期がある。
実は私の古い少林寺拳法時代の知人で、太○光○と言うのがいるが、彼などは気 で人を飛ばすのを売り物にして無知なマスコミの作ったブームに乗り、 日本とアメリカを行ったり来たりしながらいつの間にか関西と東京に道場を設けてオリジナルな武術や格闘技らしきものを指導している。
以前彼が大阪の堺で道場を開いていた時、彼の門人を通して是非私を飛ばして欲しいとお願いしたのだが、相手にして貰えなかった記憶がある。

彼が何をやろうがそれはそれで構わないのだが、ただ純粋に気≠ナ人が飛ばせると信じる人を集めて金銭を巻き上げ、 いつまで経っても結果が出せないのならそれは大きな問題だと思う。
ここで純粋にと言うのは、暗示作用無しにと言う意味である。

特に武術の世界で言う気≠フ強さと言うのは、肉体的な強さに伴ってより発揮できると言うのが私の考え方である。
20年以上も前の事であるが、大阪の武当派研究会(当時)の七堂氏の計らいで、 中国の八極拳の宗家である呉連枝老師から直接指導を受ける機会があったが、やはり気の力(勁力) と言うものは肉体を通して出るものである事が良く判った。
また中国散打の生みの親の一人であるショウコウセン老師からも直接師事する機会も得たが、やはり呉老師の場合と同じ結果であった。

気≠フ鍛錬と言うのも必要なものではあるが、しかし地面に長時間立っているだけでパワーが上がると考えている人がいたら、 少し考え直して見て欲しい。
そしてそう言う指導をしている人に対して、是非その意味をちゃんと説明して貰って欲しいと思う。

私はこのハイパーレイキを通して、武術を学ぶ人にも講習をしているが、やはり武術の世界で大切な事は肉体的な鍛錬である。
そしてその肉体的鍛錬に裏付けられた肉体に、さらにエネルギーを充分に補い、高め、さらに実践で気 をいかに運用法するかを連携して行く必要がある。

私はこのハイパーレイキ以外にも仕事として加圧トレーニングを扱っているが、 この加圧トレーニングなどはまさに肉体的な鍛錬と体内における気血の鍛錬には最適であり、 また私自身はそう言う視点でも加圧トレーニングを捉えて関連学会などでもその点を強調している。※新規にブログも公開中、是非こちらも宜しく。

『気≠フ世界だけに目を向けている人々の多くは肉体的な鍛錬を軽んじ、肉体的な鍛錬を重視する人はその肉体の衰えを感じるまで気 の世界に目を向けない。
そして肉体≠ニ気≠フ両面を重視する人でさえ心の鍛錬*レを向ける人は少ない。

これが現実なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2007年10月17日

素人文化

《素人大国日本》

最近テレビドラマを見ていて思うのだが、アメリカのドラマと日本のドラマに大きな違いがあるように思えて仕方が無い。
何が違うかと言うと、一言で言うとアメリカのドラマにあるリアリティが日本のドラマでは全く無いか、あっても薄いと感じるのである。

そこでじぶんなりに何故そのように感じるのかを考えて見ると、それはどうやら金を掛けているかいないかの違いだけではないようである。
もっとも日本のドラマはアメリカのそれに比べて確かに金の掛かっていない物が多い様に思える。
それは金を掛けないで安く仕上げればスポンサーから入る広告収入による利益が大きいからなのだろう。

しかしもっと安っぽいのはドラマに出てくる出演者の演技力の問題だろう。
日本のドラマでは視聴率を取るために人気のある歌手など、本来演技の下地のない者を主演に使ったりする事が多い。 要するにだれでも人気があって言葉さえしゃべれれば俳優になれるのである。
やはり昔に比べるとまともに演劇などの訓練を積んだ人達が出てくる機会が減っているのではないだろうか?

つまり元々役者を志してドラマに出ている者と、歌手かなんぞで人気が出たからドラマに起用された人間と、 当然心構えからして違うだろうし、また基礎が出来ている者とそうでないものとの違いが出てきて当然だろう。

要するに人気さえあれば誰でも主演になれるようなドラマが、日本のドラマの主流になっていると思われる。

これはドラマだけではなく、色んなところにそう言う現象が進んでいる。

食の世界だってそうである。
特にチェーンのファミリーレストランなんかに行くと、調理もアマチュア、給仕もバイトやパートで、 うまく行ってもマニュアルどおりと言う世界である。

昨日までサラリーマンだった人が、数ヶ月後にはこだわりラーメンの店長になってたりするのだから困ってしまう。

こう言う現象は日本のあらゆるところに侵食しているのではないかと思える。

例えば時々このブログでも例を挙げる、福祉の世界でもそうである。
特にこう言う世界は『始めに志ありき』であり、『始めに利益ありき』のコムスンなどが自爆するのも素人福祉、 にわか福祉の当然の結末だと思う。

様々な世情があるにせよ、 様々な分野でこう言う素人文化が広がる事は日本の文化全体としては大きな損失を生む事につながるように思える。

《プロとアマ》

それではプロとアマの差というものはどこにあるのだろうか。

先ず私はバックグランドの広さと深さに大きな違いを見出す。

例えば私が主宰している『ハイパーレイキ』を含めたレイキの世界を考えて見よう。
日本の多くのレイキティチャーは、レイキの第1段階から第3段階までを学んだ後、俗にティチャーズ・ ディグリーと呼ばれる教師養成講座を受けてレイキ教師≠ニ呼ばれる人になるのだが、問題はこの講座の内容である。

通常このティチャーズ・ディグリーは2日間程度で各段階に応じた伝授(回路の開き方)の実技指導と、 各段階での指導ポイントなどをレクチャーするのであるが、果たしてそれだけでプロと言える価値を持ったレイキ教師≠ェ養成できるだろうか?

ちなみにハイパーレイキとしても年に2回程度の教師養成講座を開講している。
内容としては、2段階に分けて先ず2日間で第1と2段階の教師になるための講習を受けて貰い教師補となる。

この教師補は受講者に対して第1段階と第2段階の伝授が出来るのであり、一定の期間一定の人数に対して伝授を行った後、 第3段階に対する伝授方法を1日かけて学んで貰い、正教師となるのである。

また教師養成講座の受講資格としては、シンセティック・セラピー学院≠フエナジートリートメント講座(http://www.ki-jp.com/therapist/energy.html) を受講し、東洋医学の基礎、元極学講座、外気療法士養成講座等、 ハイパーレイキの周辺領域を6ヶ月間の開講期間のうちおよそ6日間40時間近くをかけて学んで貰っている。

その講座が修了して初めて教師養成講座を受講出来るのである。

そこまでするその目的は、少しでもプロとして通用するレイキ教師≠養成し、レイキの質を向上させたいからであり、 私としてはまだ今の水準で満足している訳ではない。
やはりハイパーレイキ教師≠ノ相応しい人格や資質ももっと向上させたいと思うからである。

《素人文化》

レイキの業界のことはともかくとして、素人の台頭は食やドラマの世界だけではない。

ズバリ政治の世界や官僚の世界でも全く同じ事が言える。
国民の利益を守らず、目先の収益性だけで流れを変える政治家や、国民の血税を湯水のように使い、 挙句は外国に金だけをばら撒いてその相手に馬鹿にされるような外交施策も素人政治の結果である。

しかし資金のごまかし≠竍ちょろまかし≠セけはしっかりしていて、 自分達の利益の保全だけはプロフェッショナルな政治家や官僚や役人が沢山いる。

例を挙げたらキリがないが、教育の世界だって芸術の世界だって、企業の世界だって同じようなことがいくらでも挙げられる。

こう言う現象を私は素人文化≠ニ呼んでいる。

これ以上プロぶった素人達が、 形ばかりでごまかしている現象を許していると日本の大切な部分が根幹から崩れてしまうように思うのは私だけだろうか?



 


 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2007年10月10日

聖徳太子ツアー2

《法隆寺付近散策》

9月17日、明日香を離れて次は一路法隆寺に向かう。

明日香から法隆寺まではそんなに遠い距離ではないのだが、祭日のせいか道は混んでいた。
車を売店の駐車場に止めて500円の駐車料金を払うと、その店で1,500円以上の買い物をすると駐車料金が返ってくると言うので、 それにつられてその店で昼食を摂る。

私は実は1週間前にもこの法隆寺(http://www.horyuji.or.jp/) に人を連れてきていたので、今回は見て回るコースを考えて見た。
特に当日は修学旅行の生徒が大量に来ていたので、これに巻き込まれないようにとも思い、先ずは回廊に囲まれた西伽藍に入り、金堂、五重塔、 講堂などを拝観する。

ここで一旦回廊の外に出て大宝蔵院に入る。
ここには法隆寺の寺宝が(夢違観音像(白鳳時代)・玉虫厨子(飛鳥時代)・金銅阿弥陀三尊像を本尊とする橘夫人厨子(白鳳時代)、 百万塔や中国から伝えられた白壇造りの九面観音像・天人の描かれた金堂小壁画など)が展示されているので、十分な時間をとって拝観する。
中学の歴史で学んだ仏像などがじかに見られるのがうれしい。


次いで一旦法隆寺から離れて中宮寺(http://www.horyuji.or.jp/chuguji.htm) を訪れる。
ここでは池の中に建てられたコンクリート造りの新本堂が目玉らしい。
また本堂は改修工事中で、そちらの方は一切拝観などが出来ない状態だった。
でも拝観料は値下げされていなかった?

中宮寺の新本堂
池の中に建てられた新本堂

この新本堂の中にはアルカイックスマイルで有名な弥勒菩薩や、 曼荼羅で知られる天寿国繍帳が展示されているのだが、いくら火災を憂慮したとは言え、このコンクリートの新本堂はいただけない。
昭和43年の建設と言うことだが、法隆寺をはじめとして、法起寺、 法輪寺など周辺の寺院とのバランスを考えると私はかなりチグハグさを感じた。
この中宮寺は聖徳太子の母君である穴穂部間人皇后の御願によって、 太子の宮居斑鳩宮を中央にして、西の法隆寺と対照的な位置に創建されたとの事であり、尼寺との事であったが尼さんの姿を見ることは無かった。 きっと暑いので涼しいところにいるのだろう。

次に中宮寺から徒歩で20分ほど離れた法起寺に向かう。
9月半ばとは言え、真夏と変わらない日差しとコンクリートの照り返しの強さには参った。
今度来るときは時期を選ばなければならない。

田んぼの中の法起寺

法起寺が見えて来た

『遠くて近きは男女の仲、近くて遠きは田舎の道』と言うが、 まさに見えているのになかなか近づけない法起寺(http://www.horyuji.or.jp/hokiji.htm) だった。

 この法起寺は、推古14年(606)に聖徳太子が法華経を講説したという岡本宮を寺に改めたものだとされる。
聖徳太子建立七ヵ寺(法起寺、法隆寺、四天王寺、中宮寺、橘寺、広隆寺、葛城寺;不明確で現在は無い)の一つにかぞえられてる。
この寺は珍しく境内に入るのにお金は取られなかったが、宝物殿(収蔵蔵)の拝観料が必要との事だった。

これには入らないで次の法輪寺に向かう。

法輪寺(http://www1.kcn.ne.jp/~horinji/index.html) は太子の病気平安を祈願して建立されたとされる寺。

法輪寺三重塔

三重塔

 

法輪寺を後にして、再び法隆寺に戻る。

今度は東伽藍の夢殿を拝観に行く。この夢殿は行信僧都という高僧が、太子の遺徳を偲んで天平11年(739) に建てた伽藍の中心となる建物で、八角円堂の中央の厨子には、聖徳太子等身と言われる救世観音像(飛鳥時代)が安置され、 その周囲に聖観音菩薩像(平安時代)、乾漆の行信僧都像(奈良時代)、平安時代に夢殿を修理した道詮律師の塑像(平安時代) などがも安置されている。

夢殿

 

そして法隆寺を後にし、最終予定地であった大阪府南河内郡太子町にある、叡福寺に向かう。

ここ叡福寺(http://www.y-morimoto.com/s_saigoku/s_saigokuK3.html ) (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A1%E7%A6%8F%E5%AF%BA) は聖徳太子の墓所のある寺。
リンク先を探そうと検索しても、何故か公式ホームページが見当たらない。
この寺の特徴は、境内にある塔や金堂などは寺院の管理であるが、聖徳太子の御廟については宮内庁の管轄であると言う事。
また聖徳太子を祭ると言う事よりは、どちらかと言うと霊園の経営とこれに付帯する事業が中心と言う印象が強い。
いわば霊園管理業が中心の事業のようであるし、 またこの霊園建設にちなんだ贈収賄事件では複数の逮捕者が出たり2名の自殺者がでたりした事も、 聖徳太子の墓所の寺としては末代に残る恥とも言うべき歴史的な汚点を残している。
太子町と言う町自体も、聖徳太子の墓所にちなんだ町であると言う自覚のようなものは全く無さそうである。

もっとも今まで回ってきた太子関連寺院のように、境内に入るのに拝観料を取ると言う訳でも無いが、 例え拝観料を取っても他の太子関連寺院のように大勢の観光客が訪れる要素はない。
聖徳太子を慕う日本人は全国に沢山いるのに、何故太子の墓所のあるこの寺だけが栄えていないのか、経営者? にはもっと真剣に考えて欲しいものである。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2007年10月01日

月が替わって

《郵政民営化のこと》

10月になった途端にうっとおしいニュースが放送される。

ガソリンの値上げは、「まだ上げるの」と言う感じだが、ミャンマーの一件だって日本の国力と交渉力が問われる問題で、 これでアジアの野蛮な後進国に金だけ取られてどれだけなめられているかと言う事実が露呈するかも知れない。

この件だって用心棒のアメリカには圧力をかけさせないつもりなのだろうか?
これがアメリカのプレスが同じような状況で射殺されていたとしたら、アメリカはどう対応したのだろうか、甚だ疑問に思うところだ。

ところで10月から郵政民営化が実施されたそうだが、一体この民営化によってどれだけ国民に利益があるというのだろうか?

私に言わせると、単純に振り込み料金が大幅に上がると言う点だけ取っても民営化は不要である。
小泉さんと、郵政民営化に賛成した自民党議員どもは全員国賊である。


どうしても民営化が必要だと言うのなら、もっと他に民営化しなければならない所がいっぱいある。

先ず国の多くの機関を民営化して、不要な税金の浪費を抑えれば良い。

枡添さんがいきがって社保の問題に取り組むと言っているけれど、 本当に郵政が民営化して良くなるのなら社保庁もぐずぐずしないでさっさと民営化すれば良いし、 可能なところは行政の業務だってみんな民営化すればよいのである。

先ほどのミャンマーだって、日本だって実は国民を虐げている点ではあまり変わらないような気がする。

命に実害が無いと言うだけで、国民から税金を搾り取って好き勝手に使う輩がいる。
足らなければ何かと理由をつけて毟り取る方法を考える。官僚と言う人種は実にこう言う事が得意なのである。

政治家や官僚や公務員の地位を利用した犯罪が無くならないのは、こう言う人種の価値観が偏っているからに他ならない。
みんながそうではないと言う反論もあろうが、それは公務員側の論理に過ぎない。
結果が国民にとって良くなってこない限り、現在の政治や行政は全て見直されなければならない。

公務員犯罪の抑止には、公務員が地位を利用した犯罪を犯した場合は死刑を最高刑にする。
一見中国的だが本当はそれくらいの厳罰を持ってしても構わないと思う。そうでもしなければ彼らの価値観から大きな甘えは追い出せない。

一部のまじめな公務員さんには申し訳ないが、一体どれだけの公務員が、 国や地域を良くしようと心から思っているのだろうかと思わざるを得ない。

あるのは先ず自分の利益であり、いかに楽をして出世をして人生を過ごすかと言う点に目標が集約されているとしか思えない事が多い。

もちろん国民全体のモラルの低下は否めない。この点では民間でも同じ事が窺える。
性根の腐った人達が国を治め或いは経済をコントロールしている、大人は子供達から信頼されなくなるとともに、 そう言う大人をモデルにした子供達が育って、次の社会を担っていく。

やはりどこかで平成の世にも維新が必要なのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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