《潜在意識に振り回されるか、自分でコントロールするか》
潜在意識の働きは一見複雑にも見えるが、しかしそれはいたってシンプルなものでもある。
人間の行動の大半は潜在意識にコントロールされていると言う事実がある。
したがってその人の言動を観察すると、その人の潜在意識がその人の言動をどのようにコントロールしているかが判る。
例えばどうしてもやらなければならない仕事があったとする。それは収入にもつながらないし、 また自分の意に沿わない作業であったとするとなかなかその作業に取り掛かれない訳である。
これはちょっとした頼まれごとなども同様で、頼まれた時には深く考えないで簡単に引き受けたのだが、 いざやるとなると面倒くさくなったりしてズルズルとやらないままで時間が過ぎてゆくのである。
子供の頃の夏休みの宿題を思い出して見ればよく判ると思う。
こう言う場合にその人間が自律的であるかそうでないかがはっきりと見分けられる。
例えそれをやらなければならないと思いながら自分の中で、忙しいからとか、面倒くさいからとか、 何でこう言う事をしなければならないのか?と不満があるからと言った言い訳を繰り返してやらない人間と、例え忙しくて、面倒くさくて、 納得できないとしても、やらなければならない事であれば、嫌な事はさっさと先に片付けてしまおうと言う前向きな人間とに別れる。
その違いは前者は潜在意識に振り回された自己本位の自律的でない生き方の人間であり、 後者は積極的で肯定的で自律的な生き方の出来る人間と言う事になる。
この両者の違いはどこから来るのだろうか?
それは先ずその人間の信念や価値観が出来ているか否かと言う事になる。
これがすなわち生き方≠ニ言う人生と言う航路に欠かせない羅針盤≠ネのである。
ところが実際は自分の信念や価値観を明確に持っていると言う人間は非常に少なく、また持っていたとしてもその羅針盤 に狂いがあるととんでもない事になる。
こう言う人間がまかり間違って、人から先生と呼ばれるような立場に置かれると、周りに害毒を撒き散らす事にもなりかねない。
そしてこれらの信念、価値観と言った羅針盤は、全てその人の潜在意識にインプットされたプログラムに過ぎないのである。
私の周りにも多数の人達が、年齢層も幅広く、こう言う誤ったプログラムのままで生きている人がいる。
こう言う人達に共通した特徴は、他人から問題点を指摘されても、自分自身や自分のやり方を変えようとしないし、 例え一時的に変わってもすぐに元に戻ってしまうのである。
そしてもっと困ったことには、それらの人々は自分がそう言う潜在意識にインプットされたバグ(ゴミ) に支配されている事に気づかないでいる事が多いと言う事にある。
《精神修養は何故必要か》
肉体的な鍛錬が必要な事は恐らく運動嫌いで、普段全く運動をしない人にも判るだろう。
しかし普段から健康の為に運動を心がけている人でも、精神的な修養(トレーニング)が必要だと考えている人は極小だと思う。
そう言うことをする人は、特別な人であり、凡人の我々にはそう言うことは関係ない、と思っているかも知れない。
しかし私達が生まれてから今日までの間に外からの様々な影響(親、兄弟、教師、知人、上司など)により、 自分の潜在意識の中に積み重なってきたゴミ、すなわちよくないプログラムを修正し、自分が潜在意識に振り回される事なく、 自律的に自立して生きるためには、やはりメンタルなトレーニングは欠かせないものなのである。