2007年07月26日

潜在意識の働き-2

《潜在意識に振り回されるか、自分でコントロールするか》

潜在意識の働きは一見複雑にも見えるが、しかしそれはいたってシンプルなものでもある。

人間の行動の大半は潜在意識にコントロールされていると言う事実がある。

したがってその人の言動を観察すると、その人の潜在意識がその人の言動をどのようにコントロールしているかが判る。

例えばどうしてもやらなければならない仕事があったとする。それは収入にもつながらないし、 また自分の意に沿わない作業であったとするとなかなかその作業に取り掛かれない訳である。

これはちょっとした頼まれごとなども同様で、頼まれた時には深く考えないで簡単に引き受けたのだが、 いざやるとなると面倒くさくなったりしてズルズルとやらないままで時間が過ぎてゆくのである。

子供の頃の夏休みの宿題を思い出して見ればよく判ると思う。

 

こう言う場合にその人間が自律的であるかそうでないかがはっきりと見分けられる。

 

例えそれをやらなければならないと思いながら自分の中で、忙しいからとか、面倒くさいからとか、 何でこう言う事をしなければならないのか?と不満があるからと言った言い訳を繰り返してやらない人間と、例え忙しくて、面倒くさくて、 納得できないとしても、やらなければならない事であれば、嫌な事はさっさと先に片付けてしまおうと言う前向きな人間とに別れる。

その違いは前者は潜在意識に振り回された自己本位の自律的でない生き方の人間であり、 後者は積極的で肯定的で自律的な生き方の出来る人間と言う事になる。

 

この両者の違いはどこから来るのだろうか?

それは先ずその人間の信念や価値観が出来ているか否かと言う事になる。

これがすなわち生き方≠ニ言う人生と言う航路に欠かせない羅針盤≠ネのである。

ところが実際は自分の信念や価値観を明確に持っていると言う人間は非常に少なく、また持っていたとしてもその羅針盤 に狂いがあるととんでもない事になる。

こう言う人間がまかり間違って、人から先生と呼ばれるような立場に置かれると、周りに害毒を撒き散らす事にもなりかねない。

そしてこれらの信念、価値観と言った羅針盤は、全てその人の潜在意識にインプットされたプログラムに過ぎないのである。

私の周りにも多数の人達が、年齢層も幅広く、こう言う誤ったプログラムのままで生きている人がいる。

こう言う人達に共通した特徴は、他人から問題点を指摘されても、自分自身や自分のやり方を変えようとしないし、 例え一時的に変わってもすぐに元に戻ってしまうのである。

そしてもっと困ったことには、それらの人々は自分がそう言う潜在意識にインプットされたバグ(ゴミ) に支配されている事に気づかないでいる事が多いと言う事にある。

 

《精神修養は何故必要か》

肉体的な鍛錬が必要な事は恐らく運動嫌いで、普段全く運動をしない人にも判るだろう。

しかし普段から健康の為に運動を心がけている人でも、精神的な修養(トレーニング)が必要だと考えている人は極小だと思う。

そう言うことをする人は、特別な人であり、凡人の我々にはそう言うことは関係ない、と思っているかも知れない。

しかし私達が生まれてから今日までの間に外からの様々な影響(親、兄弟、教師、知人、上司など)により、 自分の潜在意識の中に積み重なってきたゴミ、すなわちよくないプログラムを修正し、自分が潜在意識に振り回される事なく、 自律的に自立して生きるためには、やはりメンタルなトレーニングは欠かせないものなのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2007年07月24日

比べるものが無いと本当の価値が判らない

昨日、ここ何年か振りで大型のトレーニングマシンを組み立てることになった。

たまたま私がそのマシンの購入を知人に斡旋した関係から、組み立てもやることになった。

今までにも自分が使用する場合を含めて、何台かのトレーニングマシンやそれに類する機械を組み立てた経験があるのと、 もともとこう言う作業が好きなので、特に困難は考えていなかったのであるが、今回は今まで私が組み立てた経験のある機械の中では、 規模が大きいものであった。

 

大体こういうものを組み立てる時に起こるトラブルは予測できる。

@組み立て図面と説明書が不親切なこと。

A組み立てに使用するボルトやナットに不足があること。

B部材同士の接合部が一致しない場合があること。

大体この3点に集約されるようである。

尚、このマシンは台湾製と言う事であった。

 

このマシンを購入した知人に手伝って貰ってマシンを組み立て始めたのであるが、やはり問題は起こった。

先ず説明書と図面が判りにくいのである。

英文のものとこれをそのまま翻訳して和文に訳したものが付いているのだが、マシンが大きく高機能であるために、 部品数が膨大なのである。

幸いボルトの径は殆ど同じものに統一されていたのだが、 いかんせん長さの種類が多いために適当な場所に適当なボルトを持っていくことが大変なのである。

マシンの設計が不親切だと、さらにボルトの径にいくつもの種類があったりするので、 もっと大変なのだがそう言う意味ではユーザーが組み立てると言う事をかなり意識して設計されたマシンであった。

しかしAで述べたようにボルトには不足が出た。

これもあっては困る事なのだが、何故か多くのこう言うマシンの類ではおこりやすい出来事である。

 

もっと困ったのは、一緒に組み立てていた知人である。

きっと彼の中では完全な商品を期待していたのだろうが、残念ながらそうは行かない。

しかしトラブルに遭遇する度にぼやきだすのである。

 

挙句の果てに「こんなマシンちゃんと使えるのかな」と来た。

 

組み立ての過程にまで完全なものを要求するのなら、やはりもっと高額なそれも完成品を購入するしかないのである。

今回のマシンは多機能、他種目で他のホームユースマシンには付いていない、レッグプレスと言う種目までついていてそれで20数万円。

確かに5、6万円のパーソナルユースのマシンもあるが、品質は全く違う。

そして業務用になると、単種目でも数十万円から百万円以上もする。

私はそれが判っているからこのマシンを推薦した。

 

それが「こんなマシンちゃんと使えるのかな」と来ると「お前なんかに二度と協力するか」と思ってしまう。

それで完成して、ちゃんと動き出すと「やっぱり良い商品やな」と納得する。「勝手にしろ」である。

 

でも我々は日常的にこの知人と同じような事を繰り返しているような気がする。

要するにものの価値や人の価値と言うものは、比べるものが無いと判らないのである。

他人の花は赤い∞他人の芝生は青い≠ネどと言うように、 自分の持っているものや学んで身につけたものが本当に素晴らしいものであっても、 その真価が判らない為にまた違うものに飛びつこうとする人も多い。

また自分のそばに卓越して素晴らしい能力や、技術をもった人がいても、遠くにある、 他人の評価やマスコミの宣伝だけを基準にして別の人に憧れる。

結局ものを見る目、人を見る目と言うのは比較対象することから養われるのだろうし、未熟な人には未熟な判断や決断しか出来ない。

 

『無知は罪である』そして無知からくる疑い、批判や非難は己の愚かさを物語るだけである。

 

幸いハイパーレイキ(R)は、他のレイキを受講した方々から「受講して良かった」と言ってもらえる事がが多い。

比べる者をもった人達からの賞賛は、本当にありがたいものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2007年07月20日

信頼と疑念について

《信用と信頼》

よく第三者に対する他人の評価の中で、信用はできるが信頼は出来ないと言うような話を聞く。

両者の違いを端的に表現すると、信用は表面的で信頼は内面的となるのだろうか?

 

この解釈を一応正しいものとして適応すると、人間には4通りのタイプがある、と言う仮説が出来上がる。

一つは信用も出来るし、信頼も出来る人である。(仮にこれをタイプ1としよう)

タイプ1の人は実はいそうでいないもので、特に周りに何らかの形で利害が絡んだ人間関係が多くなると、 ますます貴重な存在になってくる。

次が信用は出来ないけど信頼は出来ると言うタイプである。(仮にこれをタイプ2としよう)

これは結構多い。

つまり悪気は無いけど約束が守れない人とか、時間にはルーズだけど人を裏切るような事は決してしないと言うタイプである。

こう言う人は結構いるもので、私の周りにも顔が思い浮かぶ人が何名かいる。腹が立つ事も多いが反面可愛いところも多々あるので、 結局許してしまうのである。

三つ目のタイプは、信用は出来るが信頼は出来ないと言うタイプである。(仮にこれをタイプ3としよう)

こう言うタイプの人も結構いるもので、一見誠実そうに振舞いながら表面的にはちゃんとしているように見える。 ところが利害が絡むとルールを無視して自分の利害を最優先したり、何かと人に対しての疑いを露にする人である。

従って巧妙に嘘をついたりするのであるが、結局ちょっと調べればばれてしまうし、例え済んでしまった事でも、 つき通したつもりの嘘でも調べれられればばれるものなのである。

 

四つ目のタイプは実に強烈である。

ズバリ、信用はおろか信頼も出来ないと言うタイプである。(仮にこれをタイプ4としよう)

自分の周りを見回すと、絶対このタイプだと言う人は他人をどう悪く見てもせいぜい一人くらいである。

しかしこう言う人もいるのである。こう言う人は犯罪者か一歩手前の人で、言い方は悪いが人間の屑なのである。

もちろんこう言う人は百害あって一利無しなので、基本的に付き合ってはいけない。

 

《常識とルール》

世の中にはいちいちルールとして決めていなくても、常識や社会通念と言う共通の認識がある。

特にビジネスと言うものには商慣習と言うものがあるし、組織の中には組織の種類を問わず暗黙の認識と言うものがある。

しかしそう言う常識が通用しない世代、或いは通用しない特定の人がいる。だから厳しいルールを作らなければならなくなる。

ちょうど村上ファンドの村上氏が実刑になったけれど、まさにそれと同じことなのである。

飲酒運転の問題にしても、いまだに泥酔で運転して大きな事故を起こして掴まっている人がいる。

恐らく掴まって表面にでる人達は氷山の一角に過ぎないのだろうが、 しかしルールを決めても無視されるからますますルールを厳しくせざるを得なくなる。

 

本来タイプ1≠フ人間ばかりなら、細かいルールなど決める必要もないし、期限だってアバウトで済む。

ところがタイプ3≠フ人は口先ではルールに従うと言いながら、なかなかルールを守らないし、期限だって守れない。

そう言う人間が本当は周りを困らせているのだと思う。

 

そしてそう言う人間に限って、ほんの一面だけを見て人を疑ったり、ちょっとした問題を取り上げて揚げ足を取ろうとしたりする。

そう言う人間に共通する事は、ばれないと思うと平気で嘘をつくのである。

 

また自分が嘘をつくから、何かがあると先ず相手を疑ってしまう。

つまりその人達の潜在意識には、『人は人を騙そうとするものだ思え』と言うプログラムがインプットされているのだろう。

 

よく大阪の商売人は汚いと言うが、昔私が夜間の専門学校の学費稼ぎに関わっていた中古車やさんの業界には、 事故車をツギハギして黙って売るような随分ひどい業者がいた。

私はその前、大学生の頃には地元では老舗と言われる卸屋さんで運転手のアルバイトしていた事があったが、 そこは見事に信用を大切にする商店で、商売上では寸分の嘘も無かったから、これが自分の信用に対するビジネスモデルになった。

もし最初が立ちの悪い中古車屋さんだったら、それが私のビジネスモデルになったのかも知れない。

 

嘘も方便と言う言葉があるが、この方便が適用できるケースと言うのは、判断が難しい。

やはりばれた時に、互いに笑って済ませるものか、相手が真実を伝えるに相応しくない相手の場合に限られるのだろう。

 

『些細な事で人を疑う人ほど、本当は自分が嘘つきだ!!』どこかにこんな諺は無かったかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2007年07月19日

潜在意識の働き-1

《潜在意識の怖さ》

潜在意識の働きにについては過去に(http://hyperreiki.seesaa.net/article/26451886.html) から3回に渡って触れた事があった。

今度は少し視点を変えて潜在意識について考えて見たい。

特にハイパーレイキ(R)においては、潜在意識のコントロールと潜在した能力の開発と言うのは非常に重要なテーマである。

しかしその内容に触れる前にもう少し触れておかなければならない事がある。

それは潜在意識の怖さについてである。

私自身、セラピストとして多くのクライアントが抱える問題と対峙してきたが、 その殆どが潜在意識にインプットされたネガティブな情報やプログラムが原因であると言う真実がある。

言い古された事例ではあるが、至極わかりやすい例として先ず『犬が怖い人』の話をあげる事ができる。

生まれながらにして犬が怖いと言う人は先ずいないだろう。

しかし乳幼児期に何らかの出来事で犬に対しての恐怖心が生まれ、それが潜在意識にインプットされると、 その原因となった出来事が表面の意識(顕在意識)から忘れ去られていても、 犬を見るだけで潜在意識が怖いと言う感情を引き起こすと言った反応を示す。

この犬の出来事を、高い所に関わる怖い体験に置き換えると高所恐怖症となるし、その他にも、好きなタイプや嫌いなタイプ、好きな曲、 嫌いな曲その他、怖い、心地よい、好き、嫌いなどおよそ個人の内面で何かが引き金となって繰り返される反応は、 潜在意識の中から引き起こされる反応だと言える。

一見関連性が無いように思われるかも知れないが、子供が不登校に陥る事にも、この潜在意識の反応が関与している事が多い。

私が今関わっている子供のケースでも、宿題をきちんと提出できない子供に、担任がマイナス点を付け続けた事で、 学校へ全く行かなくなったというのがある。

教師側の論理では、宿題を出さない事はマイナスだから、こう言う評価は間違っているとは言えないが、 毎日マイナスを付けられに学校へ行くのなら、子供としては行きたくなくなるのも止むを得ないかも知れない。

その子の親は担任に対して、せめて出来た部分はプラスとして評価してやって欲しいと頼んだそうだが、 それは頑として聞き入れられなかったと言う。

これもすらも頑なな担任の価値観、すなわちその人の潜在意識にインプットされた柔軟性を欠いたプログラムの作用に過ぎない。

反面私達が何の意識も用いずにまるで呼吸をするかのように車の運転が出来るのも、 長年の習慣によって一連の運転手順が潜在意識にインプットされているからであり、優れた演奏家が見事な演奏を聞かせてくれるのも、 その人にインプットされた潜在意識の中のプログラムの働きなのである。

このように、良くも悪くも私達は気づかないうちに潜在意識にインプットされた様々なプログラムにコントロールされていると言える。

これをマインド・コントロールと呼ぶのであり、マインド・コントロールは決して悪いものだけでは無いことが理解できる。

ところが、この潜在意識にインプットされたプログラムの中には、私たちを困らせたり苦しめたりするものが沢山あるのである。

例えば止めたくても止めれないものの多くが、この潜在意識にプログラムされてしまっている。

具体的には、タバコ、酒、薬物、そして食べ物の好みや量など、様々な生活習慣などの全てがそうなのである。

タバコも、酒も、薬物も、それらに依存すると言うプログラムが潜在意識に出来上がっているから止めにくいし、 それらのプログラムを意思(顕在意識)の力だけで無理やり押さえつけていると、例えそれが1年以上抑えられていても、 簡単なきっかけで見事に崩れてしまうのは、結局依存すると言うプログラムが潜在意識に残っているからに過ぎない。

私の例で言うと、私は元々タバコを吸っていた時期があった。

徐々に量は減らしていたのだが、例えばお酒の席で側の誰かがタバコを吸うと、つい欲しくなって吸ってしまう事があった。

これは店の雰囲気、酒、そしてタバコ≠ェ結合して私の潜在意識にプログラムされていたからである。

ところがある時にひどい急性上気道炎をやり、極端に呼吸器系が弱くなってしまった。

その後タバコを吸うと、鼻や喉に不快な症状がしばらく残るようになってしまったのである。

何度タバコを吸っても、この不快な症状が出現する。

そしてこの不快さが、店の雰囲気、酒、そしてタバコ≠ニ言う結びつきによる、タバコを吸いたいと言う反応に勝ってしまい、 そのプログラムを置き換えてしまったのである。もちろん日常的にはタバコを吸っていなかったと言う事が幸いしている。

それ以来私の潜在意識では、例えその場所が居酒屋でも、近くでタバコを吸われると腹が立つ と言う反応に置き換わってしまったようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2007年07月12日

遠隔ヒーリングについて

《遠隔ヒーリングって?》

多くのレイキでは第2段階のレベルに達すると、遠隔ヒーリングが出来るようになる≠ニ謳っているところは多い。

或いは既成宗教の中でも加持といって遠隔ヒーリングを行う宗派や寺院もある。

そしてその効果については『効くものもあれば効かないものもある』のである。

効かないものは論外として、確かに効果がある場合がある。

 

私自身のもつケースでも遠隔治療で症状の改善を見たケースは多い。

 

但しこれが厳密に遠隔治療によるか否かを証明する事は困難なので、あんまりおおっぴらに触れる事はなかった。

ハイパーレイキ(R)協会では東京城東支部のホームページを経由して、仙台支部の横山支部長に動物、 人を問わず遠隔ヒーリングを主に担当していただいている。

 

では何故遠隔ヒーリングが可能なのかについて、少しだけ触れて見たい。

このメカニズムは遠隔知(遠隔視)、や未来予知などと共通したメカニズムを持っている。

よくテレビのキワモノ番組などでやっている失踪者探しなども、全く同じメカニズムである。

要するに個々の人間や動物を結ぶ媒体があるから、こういった事が可能となるのである。

 

そしてハイパーレイキ(R)ではその媒体の中で、ある種の操作をする事を理論を踏まえて学ぶ訳である。

しかし特にハイパーレイキ(R)を学ばなくても、他の方法例えばイメージを使ってそう言う操作をする方法もある。

ただハイパーレイキ(R)の方法の方がより確実だと言うだけである。

 

方法論さえ判れば未来予知でも、遠隔知(遠くの情報や映像を見る)でも、誰でも出来ることなのである。

 

それをことさら取り立てて超能力や、霊能者だと騒ぎ立てるマスコミも馬鹿げているが、 それに乗って突然生き神様や生き仏様になる人間がいるから面白い。

 

そう言うことをキワモノ的に扱うより、何故そう言うことが出来るのかと言うメカニズムを考える番組を作って、 1億総超能力者にしてしまえば良いのにと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

posted by オリエンタル・メソッド at 10:33| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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